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【翻訳】ミハル・アイヴァス「クウィントゥス・エレクトゥス」

  クウィントゥスはその大きさを除けば独り一個の理由にのみ拠り非凡であるが、該る理由というのは将にそれ独特の擬態である。事実としては、この擬態と雖も原を云えば全くの新物では無いのであって、〈ベイト型擬態〉と呼称されて居り、〈自然〉に於いては何ら奇しいものでは無い(〈ベイト型擬態〉は無害なる動物が危険なる動物の外姿の表徴を取り込むという事象に拠り特徴附けられて居る……)。複た同様にこの無害脆弱なクウィントゥスは捕食者の似せ物を手段として自らを衛るのであるが、かかる似せ物は恐らく一方で他の動物の恐怖を惹起せしめると共に他方では似せられた種の個体の一部についてその興味を欠如せしめるのである。

 このクウィントゥスの典型をなすところの擬態が独特であるというのは唯クウィントゥスの見かけに似せられる捕食者というのがヒトであるということに関してなのである。クウィントゥスが四つ足全てを用いて歩行している際には、誰もヒトとこの者との間の類似には何一つ気附かないであろう、草を食んでいるクウィントゥスは一寸斗り巨きなカピバラに視えるのだ。しかしこの動物は危険を察知するとその後脚で立ち上がる習慣を有って居る(クウィントゥス・エレクトゥスの所以である)、躰にぴったりとその両手を圧し著け、攻奪者に頭を向けると動かずにじっと留まる。……人間の身体は……この動物の体毛に依り写される、即ち黒い体毛の両つの垂直縞模様が指の備わった人間の手の印象を喚ぶのである。最も非凡であるのはこの動物の頭部である。皮膚の如く映ずる柔らかな体毛で一面被われて居り、正面に於いては長長とした鼻は見えなくなり、頭の有色部は人間の顔貌を移し出すのだ、瞳を、眉を、鼻を、そして唇をである、この間実際の眼と口とは体毛に紛れ識別されない。三米の遠きにあっては吾人はいとも容易くこの動物を人と錯認し得るであろう、五米も隔たればこの該動物は人と区別不可である。

 私は初めてこの動物と謁えたる折を決して忘れないだろう。私は牧草地に放たれているクウィントゥスに気附いた。私の眼路に入ると、それは即座に後脚で立ち上がって直立不動である。この巨大齧歯類の人と見紛う許りのものへの変身はそれだけで何か酷く不快なものであった、私はこの畜生の催さす吐気が科学者社会中に於いてさえ学的好奇心を上回る強烈なものと解した。我我はそこに立ったまま且くの間瞶め合った。クウィントゥスはかれの小さな瞳で私を瞶めていた、体毛の下に隠れた眼で、そして〈自然〉がその体毛に描き出したもの視えぬ眼で。私は憎たらしく感じた、しかし同時にその生物を見るのを止められなかった。

 

***

 

 私はこの動物の研究に捧げた我が生涯の幾年かを忘れず且つそれについて書いた本が全出版社に様様な口実で拒絶を云い下されたのを忘れない。私は一事にのみ疑いを懐いている。ヨーロッパにクウィントゥスの検体を連れて来たことは正しかっただろうか。……拘禁下のクウィントゥスの生態が識られていないのはクウィントゥスを捕獲しようとの考えを有った最初の人間が私だからだ。可笑しなことだが、私はクウィントゥスがわかった、初め脅えて居た時期は変な客人の様に室の隅に何時間も立っていたが、犬よりも更に忠実になったのだ。散歩に連れ出すと、かれは脅えていた、人を怕れた、車や犬を怖がって即ぐに後脚で立ち上がった。奇態な人への変身はここではその生まれ故郷でするよりも不愉快なものだった。まるで不快なものでも見るように子供の眼を覆う母親を見た。人人はクウィントゥスを罵ろうとした、興奮した老人がこの動物を叩き出すと、私にもそうした、杖でだ。後には我我は夕方と夜間にのみ出歩くようにした。街燈の灯では殆ど誰もかれが人ならぬことに気が著かなかった。

 クウィントゥスは尤ても愛くるしかった、しかしその愛くるしさは私にとって喜ばしいものでは無かったと打ち明けねばなるまい。かれが私の顔に似せ面で優しく頬擦りしてくると、この動物の舌が突如可怪しな場所から出てきたのだ、それからクウィントゥスはその舌で私を舐め回した、しかし私は心好くは感じなかった。私は決して私のクウィントゥスを害わなかった、だが私はこの動物を本当には愛そうとしなかった。〈自然〉が游ぶ奇異なる遊戯に関してこの動物に対して或る種の不如意を感ぜずに居る可くは無かった、それはこの生物に種の発展の樹系から極めて隔たった外姿を防禦用の仮面として与えたのだ。

 私はこの動物を処女林に返すことを考えた。まるでクウィントゥスはこれを察したかのように、衝動に苛まれ何かを伝えようと冀う眼差しで私を瞶めるではないか、ぼくはあなたの感じていることがわかるんだ、ぼくはあなたの愛を欲しがらないよ、でも、おねがい、ぼくをここに居させてよ、森にはかえさないで。あなたはぼくに似た動物と出会うことがぼくにとってつらいことだって知らないんだ。

 この瞬間に私はフランツ・カフカが書いた悲しい混血種のことを思い泛べた――しかし相違はクウィントゥスの生涯の不幸に因る不倖せだ! カフカの動物が生きた患苦は事実としてはその種の動物のみのことであった。〈クウィントゥス〉はその偏畸に自身気附いているが故に他の種の動物との連絡を苦しむのだ、のみならずまた別の者はそれに加えて鏡にその偏畸を視るが為に苦しむのである、かれらは同じ種の動物との連絡に於いて当惑を感じる、また恥を。〈クウィントゥス〉は敵を有たぬ、かれらを攻めるものは無い、しかしかれらの生涯は絶え間の無い責め苦なのである。

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元サイト:http://weirdfictionreview.com/2011/11/quintus-erectus-by-michal-ajvaz/