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ダリオ・トナーニ『明日は別の世界』(イタリアSF文庫:久保耕司=訳、イタリアSF友の会、2016年)

 最近、稲垣足穂を読んでいたら、次のような文句に出くわして驚いた。

 

 僕は、たとえば新しい靴墨か、おろしたての歯ブラシの感じがする文学を作ってみたい。それは又、タイトル・バックのような短篇であり、予告篇的編輯であり、カタログ式網羅でもある。[i]

 

 足穂と云えばヒコーキだが、そんな足穂のヒコーキ趣味とも通ずる短篇集を手にした。イタリアの小説家エミリオ・サルガーリの作品群から二作を選り抜いた『月をめざして』(久保耕司=訳、イタリアSF友の会、2016年)だ。表題作の他に、「流星」の一篇が収められている。まさにコメット・タルホ閣下に誂え向き。

 サルガーリの邦訳作品に関しては、「黒い海賊Il Corsaro Nero」、『二十一世紀の驚異Le meraviglie del duemila』の二作に限られているようだ。前者は何度か文学全集の一つとして、後者は、2013年にシーライトパブリッシングから電子書籍版オンデマンド出版として刊行されている(ちょっとググるAmazonで品切れ表示になっていてしょんぼりされる方もいるかもしれないが、電子書籍楽天kobo、オンデマンドは楽天三省堂オンデマンドの頁で販売中)。

 

 さて、今回はその『エミリオ・サルガーリ短篇集』と同時に文学フリマにおいて頒布されていたイタリアのSF、スチームパンク作家ダリオ・トナーニの短篇集『明日は別の世界』(イタリアSF文庫:久保耕司=訳、イタリアSF友の会、2016年)を取り上げよう。

 たった今ほど書き付けたように、上に挙げたサルガーリと共にこのトナーニの短篇集は、2016年7月に開かれた文学フリマ札幌に於いて配布されていたもの。しかしながら、訳者の久保さんはプロの翻訳家として活躍なさっている方であり、既にトナーニの代表作の一書たる『モンド9』(シーライトパブリッシング、2014年)を筆頭に、最近松岡正剛が取り上げたステファーノ・マンクーゾとアレッサンドラ・ヴィオラの共著『植物は〈知性〉をもっている:20の感覚で思考する生命システム』NHK出版、2015年)、そして多数の訳書をシーライトパブリッシング等から出しており、今回の短篇集頒布に当たっても原著者に提案したうえでの刊行であり、短篇集の表題「明日は別の世界Domani è un altro mondo」はトナーニが案出したもの、そしてイラストレーターのフランコ・ブランビッラからも表紙絵を提供されるなど豪勢な同人誌となっている。

 それはそうと、本書の内容については、訳者本人のブログに掲載されているのでここでは省くことにして、簡単に印象だけ書いておこうと思います。

 

 ぼくはSFを余り読まないので、トナーニの作品と他作品との比較は出来ないが、『モンド9』に出て来るタイヤ付きの船ってVガンかよと思ってしまいます。

 本書全体としては、というよりトナーニの作風なのだろう、とにかく暗鬱たる世界と飢えや渇き、欠如、腐蝕、そして上昇と下降、堕落といったニーチェ主義っぽいテーマが見え隠れするが、もちろんいずれもややハードな仕立てで金属や機械が主調を為している。

 トナーニの初期作品という本書唯一の非SF作品「痙笑」がぼくとしては好みのものだった。それほど独自色があるわけではないが、わかりやすくキリストの変奏で、他に較べて宗教色が前面に出てきており、単に俗悪なグロテスク趣味とは一味違っていると云える。

 なんだか最近疲労が抜けないので、ここらで擱筆。失敬。

 

なぜ死ぬのか? いまほど生き生きとしたことは、これほどの青春は、なかったのに。残ったもの、過去に、付け加えるものは何もない。いつでもぼくらはやり直すのだ。釘が釘を叩き出す。しかしそれが四本あれば十字架ができる。ぼくは果たした、自分の公けの役割を――出来るだけのことを。ぼくは働いた、人びとに詩を与えた、多くの人びとと苦しみを分かちあった。

           チェーザレパヴェーゼ 1950年8月16日の日記

 

 

 

丘の上に月が昇る「イタリアSF友の会」本館:http://tsukimidango.seesaa.net/

 

「イタリアSF友の会」ダリオ・トナーニ紹介特設ページ:http://tsukimidango.hatenablog.jp/

 

イタリアの本棚:http://www.c-light.co.jp/modules/column/index.php/kubo_40/

(久保耕司氏に拠るイタリア文学の紹介)

 

[i] 稲垣足穂『東京遁走曲』(河出文庫、1991年、107頁)