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『ロシア幻想短編集』(西周成=編訳、アルトアーツ、2016年)

 大手出版社(と云ったって規模から云えばすべて中小企業だが)から出る斗りが、名の知られた書評記事に踊る許りが、本では無いのだ、こう惟うにつけて、辺境文学のちから勁さ、人間の隠れた本性へと向かう分節原理の微視の眼の翻りが有難く感じられる、案外、老荘の言を俟たなくても、仏性やらの慈悲の心もそんな後ろ昏い端境に在って際立って顕現するのかもしれない。

 今日に於いてはともすればちょっと食傷のきらいもあるくらいに定着している「幻想」文学の語だが、その源流を辿ると、どうやら『哲学字彙』のHallucinationの訳語として現れたのが初めらしい。このHallucinationは後に「幻覚」に衣替えして、「幻想」の方は『英華和訳字典』、『訂増英華字典』を介してFancy, Fantasm, Fantastic, Fantastical, Fantasticallyの訳語として掲げられることになるそうな。そして「怪談」「恠異」「怪奇」「奇想」「空想」等の語と共に所謂「純文学」から切り離されたジャンル小説の一角をなすわけだが、浅学のぼくはここら辺で口を噤んでおこう。それにしても、いつか明治期の新語濫造の経緯を調べてみたいものだ。

 細かいことはさて置いて、今回、簡単ながら取り上げる『ロシア幻想短編集』には、十九世紀から二十世紀の始めまでの短編の七つが収録されている。作品の題名と作者の名前を以下に掲げる。

 

  1. オルゴールの中の街 ウラジーミル・フョードロヴィチ・オドエフスキー
  2. 勝ち誇る愛の歌 イワン・ツルゲーネフ
  3. 酔っ払いと素面の悪魔との会話 アントン・チェーホフ
  4. 夢 アレクサンドル・イワノヴィチ・クプリーン
  5. 獣が即位した国 フョードル・クジミチ・ソログープ
  6. ストラディヴァリウスのヴァイオリン ニコライ・ステパノヴィチ・グミリョーフ
  7. 魔法の不名誉 アレクサンドル・ステパノヴィチ・グリーン

 

 上に並べた作家の名を、ロシア文学についてほとんど識らないぼくは存じ上げないのだが(正直に云うと、ツルゲーネフチェーホフソログープの名前を知っているくらい)、訳者の解説に言を籍りながら、上辺だけでも紹介しておこうと思う。

 

ウラジーミル・フョードロヴィチ・オドエフスキー「オルゴールの中の街」

 さて、巻頭一作「オルゴールの中の街」は、主人公の少年ミーシャが題名の通りオルゴールの中にある小さな街を巡るちょっとした冒険譚で、やや劇掛かった言葉の轉回に時代を感じる。作者のオドエフスキー公爵(1804~1869年)は、貴族の出、だが幼時に孤児となって親戚に育てられ、若い頃はシェリングやホフマンの影響を受け、オカルティズムにものめり込んだとか。その後、オカルト思想には幻滅して啓蒙主義に目覚めたらしい。この一作も、そんな遍歴の一路を示すもので、もとは子供向けの連作短編の一つ。日本ではSF小説「四三三八年」が『ロシア・ソビエトSF傑作集〈上〉』(創元SF文庫、1979年)に入っている。後で触れるが、クプリーンの「液体太陽」という題の作品も『ロシア・ソビエトSF傑作集〈上〉』に収められている。

 ミーシャは夢の中でオルゴールの中の街を経巡り、そこで擬人化されたオルゴールの部品と出会って、仕組みを理解しようとするといった筋運びだが、重要なのは少年が「街」へ参入することで、実際に、夢の中ではあるが、それらの労働者と会話し、その機構、階級の在り様をひとまずは体験し了解する。そしてその体験を「順序立てて」父親に説明するのだが、父親にはよりよく理解するためには力学を学ぶよう諭される。いかにもロシアっぽいと云えば、っぽいのだが、力点を夢が少年に拠って「順序立てて」父親に伝えられるという部分に置くと面白いかもしれない。

 改めて、オドエフスキーの邦訳を列記すると以下の通り。

 

「四三三八年」(深見弾=訳)『ロシア・ソビエトSF傑作集〈上〉』(創元SF文庫、1979年)所収。

『火のドラゴンの秘密』(渡辺節子=訳、ポプラ社文庫、1987年)

「幽霊」(浦雅春=訳)『ロシア怪談集』(沼野允義=編、河出文庫、2003年)所収。

 

イワン・ツルゲーネフ「勝ち誇る愛の歌」

 二つ目の「勝ち誇る愛の歌」は、本書では最長の作品。作者は云わずと知れたツルゲーネフで、かれの作品については邦訳が多数存在する。が、どうも絶版品切が多い、翻訳ものは大抵こうだから残念。

 作品は、「以下は、私がとあるイタリアの古い写本で読んだことである」という語りから始まり、物語は音楽を嗜むムツィオと絵画を嗜むファビオとの二人の青年がヴァレリアという街一番の美女に同時に惚れるという恋愛模様を軸に繰り広げられるのだが、結局はヴァレリアにはどちらの青年も選べず、母親の判断に任せることにして、その母親はファビオの方を選び、恋敗れたムツィオは財産を処分し遥かなる東方へ旅立ってしまう。結婚の栄に与ったファビオだが、かれら夫婦には子供が出来ずに居た、四年が経つ頃にはヴァレリアの母親が歿る。それから更に一年が経つと、ヴァレリアは悲しみを乗り越えてしまうのだが、報せも無いままにあのムツィオが、舌を切り落とされたマレー人の下僕を従え、街に戻って来た。ファビオは喜びの裡にムツィオを邸宅の離れに招待する、そうして、三人での生活が始まる。歓待を受けたムツィオは、シタールを演奏してみせるのだが、「幸せな、満たされた愛の歌で通っている」というその曲の調べは夫妻に不安を催させる。ヴァレリアはその晩、ムツィオに襲われる夢を見て恐怖で目覚める、そのことを夫に告げると、二人は離れから響く先程の「勝ち誇る愛の歌」の旋律を聞き、曲も終わる頃にようやく眠りに入る。翌朝、ムツィオに眠れずにいたのだろうと訊くが、ムツィオは一度寝たのだと云い、その時に見た夢の話をする、夢の中でムツィオは「かつて愛した女」と出会ったのだと語る、その内容はヴァレリアの夢と全く一致していた。「その女」はムツィオの談ではデリーの街で出会ったインド人の妻だった、そしてそのインド人夫婦はどちらも既に死んだのだと云う。

 ファビオはかつての親友ムツィオに違和感を覚え、また不信感を募らせていく。ヴァレリアは修道院へ赴き、別荘へと連れ立って来た聴聞僧から妖しげな魔術師をすぐに去らせるように告げられる。一緒にその言を聞いたファビオは賛成する。それから夜になると、ヴァレリアに異変が起き、眠っていたはずが、夢遊病者のように離れの在る庭の方へ向かって歩き始める。ファビオが離れへ向かうと、ちょうどムツィオが、ヴァレリアと同じ様に両手を前に伸ばした姿勢で歩いてくるのが見えた。ファビオは激怒してムツィオを短剣で刺してしまう。すると、ヴァレリアはその場で倒れ込む。ファビオによってベッドに運ばれた彼女はようやく安眠する。

 ファビオは直ぐに不安を催し、ムツィオの死を確かめに離れへと急ぐ。かれは慥かに死んでいて、マレー人の下僕が傍らに跪いていた。ヴァレリアの眼が覚める頃、執事が寝室へやって来て、ムツィオは病気をしたから街へ移りたいとの伝言をする。二人は喜び、ヴァレリアは夫にムツィオから貰った真珠の首飾りを外させ、井戸へ投げさせる。庭をそぞろ歩いていると、離れではもう荷造りをする人々が働いていた。マレー人の姿が無いのに気付いたファビオは離れへ忍び込む。そして、椅子に座る旅姿のムツィオの死体を認める。ムツィオの前にはマレー人が居り、強烈な臭気を発する液体の入った杯が床に置かれ、その脇で小さな蛇がとぐろを巻いている、マレー人は祈りを捧げている。すると、ムツィオの死体が動き始め、マレー人がそうするのに合わせて呻き声を発した。

 ムツィオとマレー人は去って行った。夫婦は元踊りの生活を始め、画きかけの絵を完成させ、ヴァレリアはオルガンを弾いていたが、突然奏でられた音色はあの「勝ち誇る愛の歌」のものだった……。

 とまあ、丁寧に筋を追いすぎたせいか予想外に長くなってしまったが、読み応えがある重量の有る佳作と云えよう。例えば、母親の死が事件を齎すというのは、祭りの場面で彼女が都市の守護神であるところのアテナの前に坐っていることに拠って前もって象徴されているだろうし、そうした象徴の読み解きもこの作品には成り立つ辺り、読み応えが有るというわけだ。別の視点からは、西洋に於ける東方幻想に対するロシア人の観方がわかるかもしれない。また、不帰の帰還者、異邦人、余計者、マレビト(誓って云うが、別にマレー人に掛けてるわけではないぞ)とか云った詩趣溢れる鍵語を用意してもいいかもしれない。

 

アントン・チェーホフ「酔っ払いと素面の悪魔との会話」

 三作目、チェーホフ26歳の作「酔っ払いと素面の悪魔との会話」。一言で云って、悪魔稼業もあがったりですよ、とほほってな感じのショートショート。要するに星新一

 

 

アレクサンドル・イワノヴィチ・クプリーン「夢」

 四作目はクプリーンの「夢」。三つの夢或いは幻想の話が語られる。まず第一に幼少時に見たという幻、通りを行き交う人々、かれらは信仰を忘れている、やがて最後の審判の喇叭の音が鳴り響くだろうと子供は夢想する。二つ目に、ほとんど毎月繰り返されるという懼夢、幾人かの人と共に暗い部屋で死刑の時を待っている、夢だと強く考えるが目は覚めず、遂にこれが現実だと悟り、扉は開かれ、「僕の番」だと〈私〉は思い、死刑執行人の顔がこちらを向く、とここで目が覚める。三つ目は地球の夢、巨大な核が深淵を回転して飛ぶ夢だ、地球は赤い悪夢に包まれていて、目が覚めない、そして〈私〉は祖国を見る、人々は奴隷制に苦しんでいる、他方で食べ過ぎて嘔吐するデブを見る、しかし〈私〉に世界が目を覚ますような気がし始める、いつか「穏やかで賢明で重みのある言葉」が響き渡り、皆が目を覚まし、深く息を吸い、悟るだろう、目覚めた地球は母親の如き言葉を投げ掛けるだろう。最後には作家から読者へ、というより誰でもない社会へ向けたメッセージが投げ掛けられて終わる。

 それにしても、最後の「地球の夢」は、ユングが晩年に見ていたという宇宙の夢に似ている。二つ目の死刑を待つ部屋の夢で、夢を現と悟ることと死を受け入れることが連続して語られるのは興味深い。訳者解説に拠れば、「ロシア第一革命」(1906年)に触発されたものと思われると云われているが、所謂単なる「宣伝」としての文学には堕しきってはいないとぼくには思われるし、作家の想像力、表現力の勁さを感じさせる作品。

 

フョードル・クジミチ・ソログープ「獣が即位した国」

 五作目のソログープ「獣が即位した国」は、何となくボルヘスが好みそうだなと素朴に思った作品。「時を経て半ば朽ちたパピルスの紙片には、とうに不易の永遠に退いてしまった事柄や人々についての物語の数々が記されている」という洒脱な導入で始まる、人間の中に宿るであろう獣性を扱う変身譚。或る街で王を選ぶに際して、長老達は門外に宝石で飾られた黄金の卵を置き、「遠く異国から来て」草に隠れた金の卵を拾い上げた者を王に択ぶことに決めた。黒髪の少年ケニヤと赤毛の少年メテイヤが通り掛かり、始めケニヤが卵を拾うが、メテイヤがそれを寄越せと云い、ケニヤはメテイヤに黄金の卵を渡す。若者達は「気前よく寛大であり、王になるのがふさわしい」のはケニヤと云うが、老人達は「王とは与える者ではなく、要求し、取る者だ」と云って反対し、ケニヤ支持者は斬首され、メテイヤが王に即位する。王になったメテイヤはケニヤを王の右手一番目に坐らせることに決める。だが、メテイヤは貴族の讒言でケニヤを恨むようになり、そして、ケニヤを鞭ち、遂に殺してしまう。メテイヤは酒色に溺れ、廉恥心なぞどこ吹く風で居る、婦人や乙女や若者は集って呪術によって少年ケニヤを召喚する、メテイヤはまたぞろ少年を殺し、繰り返すこと幾度、遂にメテイヤは心斗りでなくその身をも虎へと化する……。

 獣と云えばデリダか岩野泡鳴かって感じですが、虎と云えばコッパードの「銀色のサーカス」か中島敦山月記』、ボルヘスの詩のいくつか、そして郡虎彦(関係ないけど)が直ぐに思い出されることだろう。ここでの虎の象徴性は単なる暴力性だけでなく、英雄や王の持つ暴力性や残虐性であって、一方では力強さや偉大さを表している。

 

 ソログープの邦訳文献は……そのうち追記します。

 

ニコライ・ステパノヴィチ・グミリョーフ「ストラディヴァリウスのヴァイオリン」

 さて六作目はグミリョーフの「ストラディヴァリウスのヴァイオリン」。芸術家の狂気の極点を描いた作品で、音楽と魔術と云う点では「勝ち誇る愛の歌」と共通する。それにしても、幻想と夢という結び付きは随分と強力なものだと改めて感じる。タブッキの『夢のなかの夢』なんかはその一つの到達点、というか曲がり角、かもしれない。

 老音楽家パオロ・ベリチーニはストラディヴァリウスの一つを所有している。かれの演奏は狂気じみているというので非難を受けることさえあるが、独奏曲の完成が訪れずに煩悶とする。例のヴァイオリンを放り出し、やきもきしたまま眠りにつくと、夢の中で背が低く体の柔らかい余所者と出会う、余所者は「闇の支配者」「罪の父」「美の父」「美しいもの全てを愛する者」などと名乗る、さらにカインにとっての芸術の教師だと云い、オルフェウスを語り、ゴルギアスと対話しただとか、オーストラリアではブーメランを考案したのだとかと云う。要するに悪魔なのだが、ここでは芸術が、狩猟が、修辞学が、建築が、制作行為が悪魔のものとされているわけだ。ツルゲーネフの「勝ち誇る愛の歌」でも同様の観方があった。そして、悪魔はパオロの所有するストラディヴァリウスは不完全だと述べ、ヴァイオリンの原型、つまりプラトン風に云えばヴァイオリンのイデアを取り出して演奏してみせる。パオロはその楽音に全てを理解し、心は四分五裂して目が覚める。それから、かれは自らのヴァイオリンを踏みつけ破壊する。駆け付けた弟子はかれを「理性を失った人々の避難所」に連れて行く。シャランタンであり、松沢病院である。大家は「自分の手に血が付いているように思われ」、壁に手を擦り付け、飲用水を全て手に掛けた。五日して、かれは渇えて死んでいた。

 修飾の多い華美な文章で綴られているのだが、ストラディヴァリが悪魔の契約を無視してキリストに祈りを捧げ続けて、悪魔のみに許された完全な楽器を作りかけていたのを悪魔は恐れていたというのは、グミリョーフなりに芸術と狂気の関係に一つの解答を示していると云えるのではないか。浅はかなことは言えないが。

 グミリョーフは過去に詩の邦訳が幾つか出ているらしい。

 

アレクサンドル・ステパノヴィチ・グリーン「魔法の不名誉」

 この作品も書き出しが素晴らしい、曰く「この街は、それぞれが一つもしくは幾つかの、極めて不思議な物語を背負っている人々で一杯である」。真似したくなる。そして、独自に創案した地名を用いるなどの手法も冴えている。

 さあれ、そんな物語を背負った人々の一人、ポーター(要するに荷物持ち)を商う老人がこの作品の主人公となる。かれは女たらしで、最近結婚した癖に若い娘に鳥籠を届けるように依頼され、その娘に惚れこんでしまう。家に上がると、空になった鳥籠がたくさんあるのに気付く。娘は鳥を買っては放していると云う。ポーターは日に三度、鳥を買って来るように告げられる。指定された店に行き、鳥を買うこと五日、女の家のベッドに寝ていたかれは目が覚めて、娘が居ないのに気付いて、隣の部屋を覗く。そこでは、半裸の娘が鳥を暖炉に投げ込んでは高笑いしていた。大慌てで逃げ出したポーターは、ペットショップに注意しに行くが、店は消えていた、そして、あの娘の住んでいたはずの部屋は空き部屋だった。男は我が家へ帰ろうとするが、なんと既に三年の月日が流れていて、家は他の人が借りていて、妻は病院で亡くなっていた。

 最後の〈私〉の報告には、狂気を体験した老ポーターの哀愁を感じさせるものがあり、この本の中で、ぼくは一番好きな場面かもしれない。作者のグリーン(1880~1932)だが、ポーランド系ロシア人としてロシア帝国のヴャトカ県スロヴォツコイ市に生まれ、二十代には革命運動に参加して逮捕されたりしている。それから偽名で短篇を発表し始めたとのこと。作家としては不遇で、「時代に合わない」との理由から旧作の再販が禁じられ、新作は年間一冊と制限される。当時既にクリミアに移住していたそうだが、貧窮のうちに胃癌で亡くなったという。

 グリーンの作品は、本書と同じくアルトアーツから『灰色の自動車 A.グリーン短編集』西周成=訳、アルトアーツ、2016年)が出ている。同書には電子書籍版があるほか、「緑のランプ」と「髭の豚の水溜り」の電子書籍版も出されている。

(追記)8月10日に『鼠捕り業者―A.グリーン短編集Ⅱ』が出るそうです(引き籠り過ぎて気付かなかった)。

 

 

 何の考えも無しに書き始めたらだらだらと締まりの無い文章になってしまったが、最近身に不幸が続いており今一つ文章を書こうと云う気力も湧かないので御容赦頂きたい。

 秋にはカルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』が白水Uブックスから出るし、次回こそカルヴィーノを取り上げようかとも惟うのだけど、どうせならイタリア語でも勉強しようとか、まだ読んでいない自伝とか未邦訳の作品とか英訳でもいいから目を通さねばとか、ジョヴァンニ・ヴェルガチェーザレパヴェーゼくらいは読破しなくてはとか考えてしまって、結局何もしていないと云う。中途半端な完璧主義者、こんなところで撞着語法が。

 何にしても、今回取り上げた様な出版社に依らない本の頒布と云うのは尊敬致します。辺境文学を出版して下さる良心有る出版社もそうですが。と云うわけで、この度発見されたクプリーンの『アレーシャ』(西尾美智子=訳、2013年)の調査結果もいずれ纏めたいところ。明日にでも図書館行けば済むけど……w

 

 

 

 

 クプリーン作品の邦訳についてちょっと検索してみたところ次の様な結果を得られた(思ってたよりも多い……)。邪魔臭いのでこうして文末に持って来たから暇な人はスクロールとかしてみたら好いと思う。60年代辺りの全集の乱発はこうしてリストを見ているだけでも複雑な気持ちになること請け合いだ。また、出来るだけ版元のホームページやデジタルライブラリーのリンクを埋め込んでおいたので参考までに。

 

「閑人」『露西亜現代代表的作家六人集』(昇曙夢=訳、易風社、1910年)所収。

「決闘」「生活の河」『近代西洋文芸叢書』第1冊(昇曙夢=訳、博文館、1912年)所収。

「囈言」『毒の園 露国新作家集』(昇曙夢=訳、新潮社、1912年)所収。

「決闘」(昇曙夢=訳)『自然と愛 名作美文』(自由叢書第7巻:近代文学会=編、耕山堂、1915年)所収。

『愛の奇蹟』三浦関造=訳、山田書店、1916年)

「暴虐 或る実話」『露国十六文豪集』(世界短篇傑作叢書第1巻:後藤利夫=訳、新潮社、1919年)所収。

『魔窟』(松永信成=訳、天佑社、1920年

「モロフ」「船暈」「イズムルード」「幼年学校生徒」『クープリン傑作集』(栗林貞一=訳、昇曙夢=校閲、天佑社、1920年)所収。

「生活の河」「泥沼」「閑人」「囈言」『クープリン・アルツィバアセフ傑作集』(露西亞現代文豪傑作集第2編:昇曙夢=訳、大倉書店、1920年)所収。

『労農露国の真相』(エポック叢書第3編:世界思潮研究会=訳、世界思潮研究会、1921年)

「孤独」『露西亜二十一人集』(菊池仁康=訳、善文社、1922年)所収。

『ヤーマ』(松永信成=訳、天佑社、1923年) ※『魔窟』の改訳?

「「道徳的白痴」レーニン」『レーニン評伝』(茂森唯士、表現社1924年)後篇68頁以降。

「麻疹」(米川正夫=訳)『世界短篇小説大系 露西亜篇』下巻(近代社=編、近代社、1925年)

「ヤーマ―魔窟」『世界文芸全集』第36編(梅田寛=訳、新潮社、1926年)所収。

「或中尉の手記」『近代文芸選集』第7編(葉河憲吉=訳、健文社、1927年)所収。

「幻覚」(蔵原惟人=訳)『近代短篇小説集』(世界文学全集第36巻:新潮社=編、新潮社、1929年)所収。

「決闘」「ヤーマ」『世界文学全集』第2期第14巻(昇曙夢=訳、新潮社、1931年)所収。

「幻覚」『五月の夜 ロシヤ短篇集』(改造文庫第2部第241篇:蔵原惟人=訳、改造社、1934年)所収。

「Allez!」(米川正夫)『露西亜短篇集』(世界短篇傑作全集第4巻:河出書房、1936年)所収。

『決闘』(昇曙夢=訳、新潮文庫、1938年)

『決闘』上下巻(改造文庫第2部第370-371篇:梅田寛=訳、改造社、1939年)

『魔窟』(昇曙夢=訳、大虚堂書房、1946年)

「象の病気見舞」「犬の幸福」『犬の幸福 動物物語』(米川正夫=訳、河出書房、1946年)所収。

『白いむく犬』(和久利誓一、八尾直三郎=共訳、新教育事業会、1950年)

「生活の河」「泥沼」「閑人」「幻覚」『生活の河 他』(創元文庫B第16:昇曙夢=訳、創元社、1952年)

『ヤーマ 魔窟』(創元文庫B第26-27:昇曙夢=訳、創元社、1952年)

『決闘』上下巻(創元文庫B第28-29:昇曙夢=訳、創元社、1952年)

「犬の幸福」「ぞうの病気見まい」(米川正夫=訳)『世界少年少女文学全集19 ロシア篇2』(創元社、1954年)所収。

『白いむく犬』(絵本)(世界名作童話6巻:和久利誓一=訳、ながいきよし=絵、同和春秋社、1956年)

『野性の誘惑 オレーシャ』(河出新書:和久利誓一=訳、河出書房、1956年)

「生活の河」(昇曙夢=訳)『ロシア文学全集』第11巻(修道社、1957年)所収。

「ぞう」(中村融=訳)『少年少女世界文学全集31 ロシア編2』(講談社、1960年)所収。

チェーホフの思い出」(柳富子=訳)『チェーホフの思い出』(池田健太郎=編、中央公論社、1960年)所収。

「レーノチカ」(一条正美=訳)『ロシア短篇名作集』(金子幸彦=編、学生社、1961年)所収

「ルイブニコフ二等大尉」(和久利誓一=訳)『世界文学100選』第3巻(サマセット・モーム=編、河出書房新社、1961年)所収、後『世界100物語((ロシアの光と影)』第4巻(1997年)に改題。

「犬の幸福」「ぞうの病気見まい」(米川正夫=訳)『世界少年少女文学全集18 ロシア編2』(河出書房新社、1962年)所収。

「Allez!」(米川正夫=訳)『世界短篇文学全集』第12巻(奥野信太郎=編、集英社、1963年)所収。

「子いぬのジャック」(奈街三郎=訳)『幼児の喜ぶお話の本 5−6才』(大日本図書、1963年)所収。

「生活の河」(昇曙夢=訳)『ロシア・ソビエト文学全集』第24巻(平凡社、1964年)所収。

「エメラルド」(北垣信行=訳)『世界文学大系』第93巻(近代小説集第3巻:筑摩書房、1965年)

「生活の河」(昇曙夢=訳)『ロシア文学全集 決定版』第29巻(日本ブッククラブ、1971年)所収。

「さあ、やれ」(米川正夫=訳)『ロシア短編22』(現代の世界文学:集英社、1971年)所収、後『ロシア短編24』(1987年)に改編。

「液体太陽」(深見弾=訳)(創元SF文庫、1979年)所収。

「車両長」(田辺佐保子=訳)『ロシアのクリスマス物語』群像社、1997年)所収。同書にはCDブックも有。

『ルイブニコフ二等大尉 クプリーン短篇集』群像社ライブラリー第24巻:紙谷直機=訳、群像社、2010年)

「エゾヤマドリ狩り」「ガンブリヌス」「二等大尉ルイブニコフ」「アレーシャ」『アレーシャ』(西尾美智子=訳、2013年)所収。個人出版? 詳細キボンヌ(死語)。国会図書館リンク

 

 

 また、以下参考資料。

「文豪クープリン君」露西亜の戦線より』(大庭柯公、冨山房、1915年)86頁以降。

「クープリン伝及び肖像(クープリンの芸術思想/芸術家としてのクープリン/クープリンの代表的作品)」『露国現代の思潮及文学』(昇曙夢、新潮社、1915年)216頁以降。

「クープリン君」『露西亜に遊びて』(大庭柯公、大阪屋号書店、1917年)299頁以降。

「クープリンの論難」『労農文化の中心人物ルナチャールスキー』(世界パンフレット通信45:尾瀬敬止、世界思潮研究会、1921年)13頁以降。

『ソヴエート文学の十年』(「マルクス主義の旗の下に」文庫11:コーガン=著、山内封介=訳、白揚社、1930年)